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改憲と公務の市場化(弁護士 城塚健之)
一 岩手自治労連から新春討論集会で「改憲と公務の市場化」というテーマで講演してほしいとの依頼を受けた。正直いって困った。というのも、「公務の市場化」は新自由主義的改革そのものであるが、憲法が必ずしもその障害になっているわけではないからである。そして私は、改憲勢力の主たるねらいはあくまで九条にあると考えていたから(もちろんその根底に新自由主義の圧力があるのはいうまでもないが)、両者を結びつけて論ずることは難しいなあと思ったのである。

二 ここで「公務の市場化」とは、PFI、公の施設の指定管理者制度、市場化テストなどのツールを活用して、これまで公務として行われた領域を、営利企業に開放していくことである(詳細は団通信一一四三号(二〇〇四年一〇月一一日)で尾林芳匡さんが紹介されていた「Q&A自治体アウトソーシング」(自治体研究社)をご参照下さい)。「総合規制改革会議」の後継組織である「規制改革・民間開放推進会議」(議長は相変わらず宮内義彦氏)は、全閣僚がメンバーとなっている「規制改革・民間開放推進本部」とタッグを組んで、「公務の市場化」に執念を燃やしている。理由は簡単。儲かるからである。財界系シンクタンクも、こうした「官製市場」がどれほどの規模のマーケットになるか、しきりにそろばんをはじいている。
 そこでは雇用流動化が当然の前提とされており、労働弁護士としては看過できないのであるが、「公務の市場化」のより本質的な問題は、どれだけ公務サービスが受けられるかが、生存の必要ではなく、購買力によって決まるところにある。介護保険制度がその典型だが、保育でも、市場化が進めば、延長保育や、通常保育におけるオプションサービス、たとえば英語教育、スイミング指導、朝食(最近は朝ご飯を食べさせてもらえない幼児が多いのか)、アトピー代替食、クリーニング(おむつの洗濯など)、その他子育て支援事業等が、ことごとく別料金で実施されるのではないかと言われている。そうなると、親が金持ちなら、よりどりみどりのサービスが受けられるが、貧乏人の子どもはおちおち「おもらし」もできないことになりかねない。これはもはや「人権の売買」に等しいのではないか。
 ちなみに、公務に限らず、人間生活のあらゆる領域が市場化されていくことの問題点、その醜悪さは、姜尚中/テッサ・モーリス−スズキ「デモクラシーの冒険」(集英社新書、二〇〇四年)でも随所に指摘されているところである(これはすごい対談集であり、ブレーンストーミングのためにも一読をお勧めしたい)。
 もっとも、こうした「公務の市場化」が憲法上ストレートに禁止されているとは言いがたい。しかも、これまでわが国の福祉は、「企業社会」に依存していて、国レベルでは不十分なままだったから、憲法の社会権規定が必ずしも新自由主義的改革の桎梏とはなっていないのではないか、というのがおそらく渡辺治教授や後藤道夫教授の最近までの分析だったはずであり(たとえば『ポリティーク』七号(二〇〇四年四月)の渡辺論文では、九条以外の部分は、「糊しろ」、「毒まんじゅうの皮」という位置づけがなされている)、私もそのように考えていた。

三 しかし、最近の改憲論議では、憲法を権力制限規範としてではなく、国家のアイデンティティ確保ないしあるべき目標を示すものとしてとらえている。これはいったい何なのか。なぜ、こんな憲法概念の転覆をはかろうという議論がまかり通っているのか。それは新自由主義的改革の進展とともに上層・下層に二極分解していく社会のありようを国民に「自己責任」の名のもとに受容させていたくためのイデオロギーが必要とされていて、それを改憲に求めているからではないか。社会権規定も含めた全面改憲論はそうした文脈から要請されているのではないのか。貧乏人は金持ちの迷惑にならないようにしろと言わんばかりの責務規定をもうけ、社会権規定を「プログラム規定」として整理すべきとまで主張している自民党憲法調査会の「憲法改正草案大綱」(たたき台)は、まさにそのような位置づけではないのか。
 昨年一二月二日、「大阪弁護士九条の会」の結成総会が開かれたが、記念講演をされた奥平康弘教授が強調されていたのは、「憲法運動は文化運動である」ということであった。奥平教授は、「九条の会」のメンバーのうち、憲法学者は自分だけで、あとの八名は文化人であるというのはどういうことなんだろうかと問いかけ、憲法九条を守るたたかいは、実は九条だけの問題ではなく、私たちの文化、生き方そのものをめぐるたたかいではないのか、と語られた。私は、これを聞いていて、「勝ち組・負け組」などという言い方で、人間の不平等、社会の不公正を容認する新自由主義イデオロギーに根本から対決しないと、このたたかいは負け戦になるのではないかと言われているような気がしてきた。
 また、後藤道夫教授は、「新自由主義改革と憲法改正」(法と民主主義二〇〇四年一一、一二月号)において、新自由主義的改革により支配層が構想している社会像を、労働・福祉・教育の視点から明らかにされている。後藤教授は、二五条が中心問題となるかは流動的とされているが、少なくともこうした社会像を国民に受容させるためのイデオロギー装置として改憲が論じられているのではないか。
 そこで、冒頭の講演でも、以上のような視点から「改憲」と「公務の市場化」を結びつけて話をしてみた(成功したかどうかは分からないが)。

四 その後、遅ればせながら、昨年八月の憲法合宿の記録(団報一七三号)を通読した。これは、自分の周囲で憲法運動を作り上げていくためのヒントをもらおうと思ったからであるが、さすが各地の一線で奮闘されている方々だけに、いずれも発言も参考になった(その意味でこれは「必読文献」である)。注目したのは、東京の田中隆さんや(一二頁)、宮城県の小野寺義象さん(五五頁)などが、グローバリゼーション、構造改革と結びつけた問題意識から発言されていることであった(もっとも「公務の市場化」に言及した発言はなかったように思うが)。そしてこれを坂本団長が「参加した一団員として」なんていいながら、まとめられているのである(六二頁)。
 さすが団長、うまくまとめるなあ、やっぱり団はすごいなあ、などと思ったが、楽屋内で誉めていても仕方ない。坂本団長の「総括発言」(?)にもあるように、確かに構造改革反対を改憲反対の結集の軸とするわけにはいかない。しかし、改憲問題で問われているのは、結局のところ、この国や社会のあり方そのものである。だとすれば、私たちは、改憲を、数ある問題と「並列的に」捉えていてはいけない。その意味で、私たち自身がグローバリゼーションと平和の問題を本当に結びつけて考えてきたのか、と問いかける大阪の杉島幸生さんの指摘は重要である(五五頁)。
 私たちは、すでにさまざまな分野で、グローバリゼーションや構造改革路線とたたかっているはずである。大事なことは、そうした活動と改憲とを深く結びつけて、言葉豊かに語る必要ことではなかろうか。
(自由法曹団通信1158号・2005年3月11日)


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