事務所案内 弁護士紹介 法律相談と費用のご案内 取扱事件の説明 情報発信 リンク集
HOME > 情報発信 > 孔市良通信 > オーストリアチロルアルプスとドロミテの山と花の旅U



  一応の予備知識を頭に入れて、いよいよフェント村に向けてバスは走り出した。
  昨年のヨーロッパは猛暑続きで、熱中症でたくさんの人が死んだが、今年は昨年に比べるとまだ気温も高くない。しかし、7月中旬すぎともなると高山の雪は溶けて水は滝をつたって谷川に流れ込んでいく。
  エッタールの谷川も水量が豊富で、それだけ水の流れも速い。バスから見える左右の山からは100mを越える滝が流れ落ちるのが見え、美しい白さである。
  エッツィ村からエッタールの谷を走ってはじめての大きな村はセルデン村で、ここで標高1,368m。冬のスキーリゾート地として有名である。
  この村からはロープウェイでガイスラッハコーゲル(3,056m)に登ることができ、エッタールアルプスの全貌が目の前に展開する。また4000mに近いヴィルトシュピッツァ山(3,768m)もあり、山岳的な雰囲気が充満してくる。
  セルデンの村をすぎて少し走ると、道が左右に分かれる。左に行くと今夜の宿泊先オーバーグルグルの村、右に行くと、もう谷のどん詰まり、フェント村である。
  私たちはとりあえず、まずフェント村に向かって走る。セルデンの村からは約30分でフェント村に到着する。フェント村は標高が1,893mあり、1993年で25世帯160人が住んでいるにすぎない過疎の村である。セルデンからこの村に自動車道路が通じたのは1951年のことで、長い期間孤立した状態が続いていた。
  私たちが到着して眺めた風景は、川にへばりつくようにホテルやレストランが並び、ハイキング客や登山客が道行く姿であり、夏の避暑地といった雰囲気であった。
  佐賀組はレストランの庭でスパゲッティーの昼食、大阪組は川の草原で、女性陣が作ってきてくれたおにぎりやみそ汁、ラーメンなどを分けあって食べた。 今回の旅では、ほとんど毎日、大阪組はおにぎり、五目飯など、昼は日本より 持参の食料を分けあって食べていたので、昼食代も助かり、時間も節約できてよかった。
  この村からのハイキングコースも多い。ミイラ発見当時、登山家のメスナーも登山に来ていたということで、イタリア・オーストリア国境の氷河で覆われ た3,400〜3,600mの山々は登山ルートもはっきりして山登りにも適している。
  私たちは、この村からアイスマンが発見されたシミラウン峰を眺め、いつかこの山とシミラウンヒュッテを訪れたいと思い、オーバーグルグルの村をめざしてバスを走らせた。添乗員に頼んでピルパマー父子が経営していたホテル「ポスト」を探してもらったが、どうしたのか見つからなかった。

 〒542-0012 大阪市中央区谷町九丁目3番7号 中央谷町ビル2階 (06)4302-5153(代)