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HOME > 情報発信 > 孔市良通信 > シチリア紀行−シチリア北西部の旅から


 

1.シチリアへ向けて
  関西空港12時40分発アリタリア航空で11時間40分の飛行の後、ミラノに到着した。追風のため、予定より1時間早く到着であるが、次のパレルモ行の待ち時間があるので、3時間もミラノの空港内でぶらぶらして時間をつぶした。
 現地時間午後9時30分ミラノ発に乗って、午後11時前にパレルモ空港に到着した。時差は日本と7時間あるので、日本時間では早朝6時ということになり、日本の朝、目覚めてから約24時間が経過したことになる。ヨーロッパのどこに来るのも、最初がしんどい。パレルモ空港の気温は16〜17℃で、思っていたより涼しい。

 パレルモの空港に到着して、荷物を受け取る段になって佐賀の一人の婦人のスーツケースが出てこない。ミラノに残さ
れているのがすぐにわかったが、このことで時間がかかり、パレルモの「ポリテアマ・パレスホテル」に着いたのが午前1時過ぎになってしまった。古いホテルであるが、まあまあの一人部屋で、洗濯をして風呂につかり、日本からのパック入り「月桂冠」を飲んで、すぐに寝てしまった。


 シチリア旅行は、10年前から計画していたが、なかなか実現できなかった。文化の重なり、山と海の自然など、魅力的ではあるが、シチリアと南イタリアだけの旅行は人を集めるのが困難であった。ギリシア、フェニキア、ローマなどの建築や美術、ローマとカルタゴの戦いであるポエニ戦争の歴史などの文化を含みながら、エトナ山やストロンボリの火山などの登山を入れたのがやはりよかったのだと感じている。

左写真:紀元前5世紀 セジェスタのドーリア式神殿

2.フェニキア人の夢のあと
 古代シチリア島北西部はフェニキア人の町であった。「フェニキア人とは」との質問されて、どのようなことが思い浮
かぶであろうか。古いことから言えば、紀元前13世紀頃にアルファベット(22の子音文字)をギリシアに伝えたということが有名であろう。彼らは、北アフリカのカルタゴ(現在のチユニス)を本拠として古代地中海を支配していた海洋民族で、カルタゴを建設したのは前814年のことであり、前8世紀には、シチリア島北西部のモツィア、マルサーラなどに海洋貿易の基地を置いていた。

3.モツィアの名産
 フェニキア人がシチリアに伝えたことで、現在まで続いているものは、まずモツィア島対岸の製塩等である。モツィアの塩は、ヨーロッパでも有名で、小粒で一つ一つが透きとおるほど美しい。味はにがみがなく、極端な言い方をすれば、甘みがある位で、今回の旅行では「モツィアで食塩を買おう」というのが合い言葉になっていた。

 もう一つは、ぶどうやオリーブの苗を伝えたとことである。
特にぶどうは、フェニキア人の築いたマルサーラの町が知られている。古代フェニキア人は、この町にワインの醸造法を伝えた。その後永々と製造され続けていたが、16世紀になってイギリス人の実業家ジョン・ウッドハウスがマルサーラでワイン産業を興し、現在もデザートワインとして、マルサーラワインは世界的に有名である。

 翌日は、フェニキア人の町に行くのであるが、まず、セジェスタに立ち寄ったので、そこから始めることにする。



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