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HOME > 情報発信 > 孔市良通信 > 縄文遺跡をめぐる旅−鹿児島県上野原遺跡


 

1.はじめに
 私が、初めて鹿児島県霧島市の国分上野原の縄文遺跡を訪れたのは、1998年9月11日のことでした。工業団地建設の造成にともなって発掘調査がされていたのですが、広々とした野原のような感じでした。当時撮影した写真を見てもらえばわかると思うのですが、所々竪穴住居の復元住居がありはしましたが、まだこれから発掘が続けられるといった状態でした。一番びっくりしたのは上野原遺跡の地層が10数層まできちんと掘り下げられており、各層の火山灰層によって時代が明確に区分することが可能になっていたのでした。これらの層が現地で直接この目で見ることができたのです。親切に各層ごとに噴火による火山灰と時代が表示されていたので9500年前の早期前葉の縄文集落はどの層かがすぐに理解することができたのです。現在では写真のような各層の様子を野外では見ることができないので、写真を残しておいて良かったと思います。

2.最古の定住集落の発見
 1997年5月27日「上野原遺跡で縄文時代早期前葉、約9500年前の国内最古の最大級の集落発見」とのニュースが流れました。既に有名になっていた青森の三内丸山遺跡が約5500年前であるのですから、それより4000年以上古い縄文遺跡であり、しかも九州の鹿児島県ということでもびっくりさせられたのです。ここの遺跡で竪穴住居跡52軒、この52軒の中の10軒の竪穴内の埋土に、桜島起源の火山灰(約9500年前)が混入された状態で発見されたのです。そのことによって約9500年前にすでに10軒程度の住居がある縄文のムラが存在していたことがわかったのです。同時に竪穴住居だけではなく、石蒸し料理施設の集石遺構(39基)燻製料理施設の連穴土坑(16基)などの生活遺構が発見されたのです。連穴土坑は保存食づくりの燻製施設で大きな穴と小さな穴がトンネル状に連なっているものです。小さな穴の上にイノシシや鹿・野鳥をまるごと吊し、そして葉や笹でこの上を密閉し大きな穴で火を焚くのです。火床が勢いづくと続いて生木を焚き煙が大量に流れて、約10時間で燻製ができるということです。又、集石遺構は、石を積み重ねたもので、石を焼いてその中に肉を入れて蒸したと思われます。ここでは、食品を加工したり、保存したりする技術がすでに存在したということです。以上のような発見の報道からすぐにも現地を見たいと思ったのですが、やっと約1年後に遺跡を訪れることができたのです。

3.遺跡再訪
 上野原遺跡は、1999年1月に国史跡に指定され2002年10月に「鹿児島県上野原縄文の森」が誕生したのです。ただ私が訪れたときには公開されていた史跡部分は遺構面の保存のため埋め戻されてしまっていました。それでもきちんと縄文の森として整備された遺跡を見ておこうと思って出かけました。2006年11月18日(土)飛行機で鹿児島空港に降り立ちました。タクシーで約1時間、上野原縄文の森に到着しました。昔とは全く感じの違う大きな公園として整備されており、広い野原はもう見ることはできませんでした。遺跡への進入路を境にして、北側には9500年前の落葉広葉樹の森があり、南側の照葉樹の森では、シイやカシなど約7500年前の森を再現していました。小雨が降っていたので、野外の見学は十分できませんでしたが、竪穴住居跡、集石遺構、連穴土坑も見ることもできました。地層観察館では、10数層の火山灰層も見ることができました。展示館では、出土した深鉢型土器や耳飾り土偶などがよく整理されて展示されてありいい勉強になりました。遺跡を後にして桜島にむかいました。

4.終りに 上野原縄文文化の一時的壊滅
 上野原遺跡の地層の第五層にみられる火山灰層は、アカホヤ火山灰と呼ばれています。これは約6400年前の屋久島地方の海底の鬼界カルデラから噴出した火山灰なのです。
 この火山噴火は、縄文時代最大の火山爆発といわれています。この火山灰は、関西、中部、関東や日本海地域にまで分布しており、大阪でもアカホヤ火山灰が発見されているのです。
 南九州では、40〜60センチの厚い堆積層が現存しており、上野原台地で60センチ以上になっているのです。この層の下からは、約7500年前の縄文早期後葉の文化が発掘されています。石蒸し炉の集石遺構200基以上、12個の完形壷形土器や土偶や土製耳飾などが出土しています。これらは1998年6月国の重要文化財に指定されました。
 この文化が6400年前の鬼界カルデラの大爆発によって壊滅し、同時に南九州の独自の文化も一時的に壊滅したと言われています。なんといっても300度以上の火砕流におおわれたのですから、どうにもならなかったと思います。
 これによって、縄文文化は、西高東低時代から東日本の東高西低時代に移行したのでしょう。約5500年前の青森の三内丸山遺跡は、この噴火の1000年後の縄文文化といいます。
 南九州の縄文人が、1000年をかけて青森の三内丸山までたどり着いたのではないでしょうか。こんなことを考えながら、上野原遺跡を後にして桜島にむかいました。



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