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HOME > 情報発信 > 孔市良通信 > 縄文遺跡をめぐる旅−岐阜県久々野町 堂之上(どうのそら)遺跡


 

1.はじめに
 自由法曹団の2008年5月研究集会が岐阜県の下呂温泉で開催されることになった。この機会を利用して、2008年5月25日(日)の昼前に岐阜県久々野町の縄文遺跡である堂之上遺跡に立ち寄った。
岐阜県の久々野町というと、高山線の高山駅から二つ手前の駅で、高山方面にむかって、久々野駅のホームから右上の小高い丘に堂之上遺跡という大きな看板が見える。
 ここは飛騨川の上流、八尺川との合流点の標高680メートルの台地に存する縄文時代の集落跡なのである。
 わが事務所の吉田事務局長の運転で、私と奥村弁護士の三人のメンバーで訪れた。雨がしとしと降る、あいにくの天候ではあるが、山の中の静かな遺跡であった。
 この遺跡のすぐそばには久々野町歴史民俗資料館があり、定年間近の職員が一人受付に座っていて、私達を見るとにっこりしてくれた。
 あまり訪れる人もいないようで、その人はあわてて二階の展示室の電気のスイッチを入れに階段をあがっていった。

2.堂之上遺跡の特徴
(1)この遺跡は地理的な点での特徴が著しい。飛騨地域は東西日本、太平洋側、日本海側の中間地帯に位置していることから、東西南北の文化の交錯点としての特色がある。
 高山線は名古屋、岐阜を通って、高山から富山を結んでいる。
 久々野から野麦峠もそれ程遠くない。野麦峠を越えると信州である。

(2)堂之上遺跡からの出土品は、縄文時代草創期から晩期まで長い期間にわたって多種の遺物が出ているようである。数千年間の長期間この場所に人が住んでいたことになる。しかもこの場所はほとんどこの期間地形的にも変化していない場所といわれている。
 特に約5,500〜4,500年前の縄文時代前〜中期にかけての竪穴式住居跡が43棟出土し、現在3棟が復元されている。

(3)この遺跡が文化の交錯点といわれていると述べたが、中期の住居跡には大型の石囲い炉を持ち、埋がめのあるものは信州系、石囲い炉の四隅に大型石棒が立てられている物は北陸系といわれている。
 資料館には出土品がよく整理されて展示されているが縄文前期中期の土器類の中には芸術性の高いものも多数あるし、石皿・磨石もおもしろい。
 住居跡は出土した地点に時代と特色が表示され、全体としてわかりやすくなっている。
 この遺跡は昭和48年から発掘調査が行われ、昭和55年に国指定史跡となった。集落跡の整備復元も行われているので、ここに立って飛騨地方の縄文人の生活を思い浮かべるのもいいことだと思った。 



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