1.はじめに
2008年9月20日(土)、台風13号が太平洋にそれてくれたおかげで長野県の八ヶ岳山麓も天気がよくなり、青空も見えるようになった。
2、3年前、大阪法律事務所の仲間で北八ヶ岳の横岳(2472メートル)を登った帰りに尖石・与助尾根遺跡を訪ねたことがある。その時は写真撮影など不十分だったので、再度、遺跡を尋ねることにした。
尖石・与助尾根遺跡は、中央本線茅野駅から車で30分くらいの所にある。ここは八ヶ岳西山麓に位置して標高1070メートルである。尖石遺跡と浅い沢をへだてた対岸の与助尾根遺跡は、30メートルくらいしか離れておらず向かいあって存在している。縄文時代中期に属する遺跡である。
2.尖石遺跡
尖石遺跡という名前はどこからきたのか。
尖石遺跡は広々とした台地を歩いて、南斜面にむかって3〜4分歩いて、斜面を少し下ると、そこに大きな、三角錐状の石が、でんと座っている。先がとんがっているので「とがりいし」と呼ばれ、遺跡の名称にもなっている。石の肩のあたりの摩減状態から、縄文時代の人々が共有した砥石ではないかと推測されている。
この尖石遺跡は、明治時代の1892年頃、国策でここを桑畑に開墾しようとした時に発見された。
この遺跡は地元の考古学者、宮城英弐(ふさかず)が独力で発掘して、日本の原始集落研究のさきがけをなした遺跡と云われている。
 3.与助尾根遺跡
発掘は尖石遺跡の方が古く、1942年には国史跡に指定されていた。与助尾根遺跡の発見は1935(昭和10)年で、発掘は戦後1946年にはじめられ、地表下80センチで床面と炉址を完掘し、与助尾根第1号住居址と名付けられた。
これらの発掘が大々的に新聞報道され、長野県の高校生も多数発掘に参加するようになって、一大考古学ブームがまきおこり、見学もかねて、現地で「古代文化大学講座」なども開校されたということである。
こうして、1952年までに28カ所の住居址が発掘されたのである。
 4.尖石考古館の国宝「縄文のビーナス」
現在の考古館は1979年に尖石遺跡の隣接地に新築されて、尖石、与助尾根遺跡からの出土品2000点が展示されている。その中でも、尖石ではないが近くの棚畑遺跡出土の国宝に指定されている土偶「縄文のビーナス」と、中ツ原遺跡出土の重要文化財「仮面の女神」の二つの土偶は、絶品である。これを見るだけでもここに来る値打ちがあると思った。
ここに展示されている土器では、ヘビやカエルの文様のものが多く、これが写実的で4000年も前の作品とは思えない。
 5.おわりに
八ヶ岳西南麓では現在まで228遺跡が確認され、そのうち縄文時代の遺跡は191カ所の多くを占めている。八ヶ岳西南麓はこの多さのためか「縄文のふるさと」と形容されているのである。
ここからそれほど遠くない霧ヶ峰の一角、星糞峠の鷹山遺跡群では、旧石器時代から縄文時代まで、約3万年もの長期間黒曜石(火山性ガラス石器)の一大石器工場が発見され、全国に分布した黒曜石の原産地として、近年注目されている。
八ヶ岳から白樺湖、霧ヶ峰は縄文文化のつきない宝庫である。
次は、この鷹山遺跡を紹介したいと思う。
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